今回は、なんだか最近プライベートや、仕事がうまくいかないな。
という人向けに、うまくいっている人の考え方をまとめて紹介していきたいと思います。
自分を好きになる
・自分を許す
ミスをしても自分を責めるのはやめましょう。
自分を非難したりしてはいけないです。
そんなことをすると、自分のすることは何でもまちがっているんじゃないかという気持ちになって、さらにミスを繰り返すことになるだけです。
自分にやさしくすると、いいことがある。
それは、あまりよくなかった決定に悩まないことによって、自分はなぜまちがった決定をしたのかを学習する余裕ができるからです。
そうすれば、今後、同じようなミスを繰り返さないための対策を立てることができます。
だれだって選択ミスをしてしまうことがある。
しかし、それはわざとではない。みじめな気分になることを人生の目標にしている人はひとりもいないはず。
ミスしたときに自分にやさしくしよう。そうすれば将来、ミスが避けられます。
・自分の長所にだけ意識を向ける
ひとつの物事に意識を集中すれば、それは拡大します。
自分の長所と自分の人生で恵まれている部分にいつも意識を向けましょう。
そうすれば、長所はさらに磨きがかかり、恵まれている部分はよりいっそう大きくなります。
・いやなことを言う人は相手にしない
相手を不愉快な気分にさせるために、わざといやなことを言う人がいます。
けれども、こういう人は非難すべき人ではなく、本当は同情してあげなければならない人なのです。
その意図は、相手をだしにして優越感を感じることで自分の自尊心の不足を補うことです。
こういう人の言うことにいちいち腹を立てたり気分を害したりすると、相手の思うツボです。
うまく言い返してやろうなどと考えると逆効果です。
何も言わずにほほ笑むとか、適当にあいづちを打って受け流し、自分のことに集中しましょう。
相手の自尊心を高めるために、自分の自尊心を犠牲にしなければならない理由はないのだから。
相手を気分よくさせるために、自分が不愉快な思いをする必要はない。
・地位や財産で人を判断しない
子どものころから私たちは、知識や学歴、地位、名声、財産などを持つ人たちは優秀で称賛と尊敬に値するという意識を植えつけられてます。
これらのものを持っている人が持っていない人と異なっていることは事実です。
しかし、だからといって優れているということにはならないのです。
それはうわべだけの区別にすぎず、尊敬したり名誉を与えたりするための基準としては、きわめてあやふやなものです。
業績や地位は、その人が自分より価値のある人間だという根拠にはならない。
・たくさん失敗して、たくさん学ぶ
私たちは数え切れないほどの失敗をします。
ときにはひどい失望を感じさせるような失敗すらしてしまうことがあります。
失意のどん底にあるとき、私たちはひとつのたいへん重要な事実を見逃しているのです。
それは、失敗は学ぶために不可欠だということです。
失敗は貴重なことを学ぶいい機会です。
なぜなら、失敗するたびにまちがった解決法がひとつずつ消えて正しい解決法に近づいていくのですから。
これからは、自分には失敗をする自由があるというように考え方を変えてみてはどうでしょう。
そうすれば、いろいろな技能が習得できて、成功の可能性がぐんと高くなるはずです。
すべての失敗は、学ぶための絶好の機会である。そう考えることが賢明な態度だ。
・自分のまちがいは堂々と認める
多くの人は自分がまちがいや失敗をするという事実を認めたがらないものです。
その理由は、自分を責める気持ちに、もういやというほど苦しめられているので、これ以上苦しみたくないからです。
自分がまちがっていることを知ると、どうしても心の奥底で苦痛を感じてしまうものです。
そこで、もう苦痛を感じなくてすむように自分はいつも正しいと自分で思い込み、他人にもそう思ってもらおうとするのです。
しかし、いつも正しい人がより優れた人ということにはならないのと同様、失敗しても人間的に劣っているということにはならないのです。
自分が犯したまちがいを進んで認められるということは、人間的に円熟している証であり、健全な自尊心の尺度です。
正しくてもまちがっていても、自分は常に価値のある人間だ。
・自分の気分に責任を持つ
自分がどれだけ幸せかは、人生観しだいです。
幸せというのは、何かいいことがあったから気分がいいということではなく、あくまでも自発的に生み出される心の状態を指すのです。
どれくらい幸せを感じるかは練習することで増やせます。
毎日五分間、幸せを意識的に感じる練習をしてみよう。
何らかの理由で幸せだというのではなく、とにかく幸せな気分になってみるのです。
まず、自分の人生でいちばん幸せだった日のことを思い出してみよう。
そのとき、あなたはどんな気分だったでしょうか。
そのときの気分をもう一度体験してみるのです。
この練習を日常的におこなえば、あなたは幸せになりたいときに幸せになれて、毎日をより幸せな気分で過ごせます。
幸せは自尊心と同様、個人の責任。他人があなたを幸せにしてくれることもあるだろうが、最終的にはあなた自身の心の持ちようしだいです。
・自分をけなさない
自分に向かって自分のことを話すときは、常にプラスの言葉を使おう。
自己批判に陥っているときは、それがどのような理由であれ、すぐにそれをやめよう。
「自分はなんてバカなんだ」「ダメな人間だ」「頭が悪い」「この程度しかできない」と考えたり口に出して言ったりするのは絶対にやめるべきです。
自分をけなすことは、自分の短所ばかりを強調し、自分の長所を不当に無視することになります。
あなたにまったく責任がなくても、あなたを責めてくる人は世の中にいくらでもいます。
だったら、あなたまでいっしょになってあなたを責める必要はないのです。
・相手にどう思われているかを心配しない
あなたが相手にどう思われているかを心配しているときは、たぶん相手もあなたにどう思われているかを心配しています。
自分が相手に与える印象を気にしないほうが、いい印象を与えられる。
・自分は幸せになれると信じる
あなたは自分の生活の質、仕事、人間関係、家庭環境について満足していますか??
もし不満があって、それを変えたいと思っているのなら、だいじょうぶ。必ずできます。
私たちが今の状況に置かれているのは、ほとんどの場合、偶然ではありません。
私たちは、自尊心の度合いに応じて、自分にふさわしい人間関係や状況に自分を引き込んでいるのです。
(ただし、それは無意識の行為だから、意識的にほしいと思っているものとはかけ離れているかもしれない。)
健全な自尊心を持っている人が他人からの敬意や協力、友情を期待し、しかもそれらをおおよそ得られるのに対し、自尊心の乏しい人は居心地の悪い不快な状況にしばしば巻き込まれ、けなしあうような事態さえ招いてしまうのは、そういう理由によるものです。
では、人生を好転させるにはどうすればいいのでしょうか。
それは自尊心を高めることに意識を集中することです。
そうすれば、幸せになろうという思いが強くなります。
自分はより幸せになるに値する人間だと心から確信できれば、あとは簡単。
幸せを生み出すために必要な、安全で合法的な手段をとればいいだけです。
・あるがままの自分を受け入れる
たとえば……「もしこれをやめれば、自分はいい人間なんだけどなあ」「もし別のことを始めれば、自分は成功できるんだけどなあ」「もしこれを持っていれば、自分は価値のある人間になれるんだけどなあ」
このような願望は、今の自分でいいのだという考え方を否定し、自分を受け入れることを無期限に延期する性質のものです。
その結果、自分がいつもダメな人間だと感じてしまうことになります。
実際には、あなたはあるがままのあなたでいいのです。
無理に変わろうとする必要はないのです。
個人的な特徴に関係なく、あなたは常にすべての面で完全に価値のある人間なのです。
だからこれからは次のように自分に言い聞かせましょう。
「私は常に進歩しつつある人間だ。私は現時点でのベストを尽くしている。将来、今より向上すれば、今度はその時点でのベストを尽くせばいい」
・自分のしたいことをする
私たちは成長する過程で、他人の意見をすごく気にするようになります。
その原因は、親や学校の先生から「人からどう言われるか、あるいはどう思われるかを考えなさい」と言われつづけたことにあります。
その結果、他人からどう思われるかを重視するあまり、自分のための生き方ではなく他人のための生き方を追求するようになってしまったのです。
つまり、自分がしたいことではなく、他人から期待されていることや他人の称賛が得られそうなことを行動方針にするようになったのです。
他人の意見を優先すればするほど、自分が本当にしたいことをする自由が失われます。
そればかりか、自由にものを考えることすらできなくなります。
さらに悪いことに、自分のことを他人がどう思っているかを不当に重視すると、自分を他人よりも人間的に劣っていると思い込んでしまうようになるのです。
他人の意見を優先すればするほど、自分の生き方を選ぶ自由を失う。
・毎日三十分、自分のための時間を持つ
毎日、自分にこんな予約をしましょう。
自分が心から楽しめることをするための質の高い時間を、少なくとも三十分は確保する、と。
といっても、手のこんだことやお金のかかることをする必要はないです。
小説の一章を読む、詩を書く、好きな食べ物を食べる、何もせずに心を落ち着かせて静かにすわっているといった簡単なことでいいのです。
何を選ぶにしても、それが自分に満足感や楽しみを与えてくれることであればそれでOK。
仕事に追われたり家族や友人の要求に無理に応えたりしているうちに、自分の人生がいとも簡単に犠牲になってしまうのです。
これからは自分の必要性を満たすことは自分にとって大切だという意識を持ち、毎日ある程度の時間を自分のために使うようにしよう。
自分は、自分のための質の高い時間を毎日確保するに値する人間だ。
・他人に期待しない
私たちは他人が自分とほとんど同じ行動をとるものだと思いがちです。
だから、他人が意外な行動をとると、腹を立てたり、がっかりしたり、心配になったりします。
しかし、かなりよく知っている人でないかぎり、他人の行動を正確に予測できる確率はせいぜい五分五分程度でしかないのです。
あなたの行動が周囲の環境や人生経験の独特の組みあわせによって形成されるように、他人の行動もその人なりの背景によって形成されるのです。
こんなふうに一人ひとり個性があるからこそ、他人の行動はときとして理解しづらいことがあります。
裏を返せば、あなたの行動だって、他人にとっては理解しづらいことがあるのです。
他人が自分と違う行動をとるのには、それなりの理由がある。
・完璧を求めない
完璧主義者は幸せな人ではない。
完璧主義者に共通する傾向をいくつか挙げます。
●他のだれよりもきちんと物事を処理できると信じているために、よけいな仕事をたくさん背負い込む。
●物事の決定に悩み抜く。
●絶えずミスを探し求め、いつもミスを発見する。
●最悪なのは、何事も完璧にこなす能力を自分の人間としての価値と同一視することである。
このために、完璧主義者は自分を一級の人間だとはなかなか思えなくなっているのです。
どのような仕事に取りかかるにしても、それに相応の完璧さというものがあります。
たとえば、脳外科の手術は芝刈りよりもずっと高度な技術が必要になる。
要は、どの程度の完璧さがその仕事に必要になるかを事前に見きわめることなのです。
どの程度の完璧さが必要かがわかれば、その仕事にあった心構えで取りかかれます。
あなたの目標は何もかも完璧にこなすことではなく、むしろそんなに完璧を求める必要がないことを理解することなのです。
自分にとって現実的な基準を設定することが賢い方法だ。
・自分を他人と比較しない
自分を他人と比較するのはやめよう。
自分を他人と比較する習慣は、一方で不満を生み、他方でまちがった優越感を生むだけです。
そして、そのどちらも現実的なセルフ・イメージを育てる妨げになります。
自分を他人と比較するとき、心の中で相手と自分との優劣を判断しているのが典型的なパターンです。
だから、自分より優れている人を見ると落ち込み、自分より劣っている人を見ると元気が出てくる、という結果になるのです。
しかし残念ながら、総合すると「自分はダメだ」という気持ちのほうが優勢になります。
それなら、わざわざ自分を他人と比較したりせずに、はじめから落ち込んでいたほうがよけいな手間がかからないぶんだけマシというものです。
自分を他人と比較するのはどんな場合も好ましくないです。
なぜなら、あなたはこの地球上に住む他のすべての人と同様、独自の長所、短所、才能、能力を持つ個性的な存在だから。
環境や人生経験、ものの見方・考え方が組みあわさって、あなたは他のだれとも違うユニークな存在になっているのです。
自分は個性的な存在だ。だから、他人と比較しても意味がない。
・自分の価値を疑わない
「あなたは価値のない人間だ」という意味のことを他人に言いたがる人がいます。
こういう人は、自分と比較して相手が何らかの点で違っているという理由で、相手をほとんど価値のない人間だと見なすのです。
こういう人にとって「重大」な違いとは、外見、行動、宗教、人種、性別、収入、家柄、あるいはそれ以外の無数にある「優劣」を示す基準によるものなのです。
なぜ、このような哀れな性癖を持っている人がいるのでしょうか。
その理由は、自分が他人より優れていると確信できれば、偽りの自尊心を持つことができるからです。
つまり、自分より劣っていると思える人の基準を創り出すことによって、自分の価値が高められると思っているのです。
これは、土星が自分の周囲には環があるという理由で火星より価値があると思い込むようなものだ!
他人が何と言おうと、人間の価値を決定する絶対的な基準はないのです。
あるのは、精神的に不安定な人たちが独断と偏見で決めた基準だけです。
人間の価値とは、数量で測定できるものではなく、生まれたときにもらって死ぬまで持ちつづける尊厳のことなのです。
相手をおとしめることによって自分をよく見せたがる人と接するときは、要注意。
あなたがその人の意見に同意しないかぎり、あなたに劣等感を持たせることはだれにもできないのです。
自分のどんなところも、他人との優劣を決める基準にはならない。
・自分で自分を苦しめない
私たちは感情の反応が自動的だと思っているようです。
つまり、何かが起これば、それが私たちに自動的に反応を起こさせるというふうに考えているのです。
しかし、実際にはそういう仕組みにはなっていないのです。
感情は内面の働きです。
何かが起こったとき、いやだなと思うのは自分であり、自分の感情によって自分を叩きのめしてしまうのです。
苦痛を伴うこのような感情を自分でつくっていることを認めないから、外的な原因に責任を押しつけて自分がその犠牲になったと感じるのです。
しかし、それでは何も解決しないのです。
その反対に、自分の心の状態は自分に責任があると認めれば、人生を創造する素晴らしいパワーが得られます。
そのパワーを利用すれば、うまくいかない解決策を試すのをやめられるだけでなく、もはや自分の気分を自分以外のものに左右される必要がないことがわかるはずです。
自分で自分を傷つけなければ、多くの苦しみが避けられる。
・無理をして人から好かれようとしない
なぜだかわからないが、自分が相手を嫌っていることを相手にわからせようとする人がいます。
そんなとき、私たちはたいていそれは自分のせいだと思い、どうしたら相手の気分をよくすることができるだろうと悩んでしまう。
そこで必要なことは、こう自分に問いかけることです。「他人が私のことを好いていないからといって、なぜ私は自分を変える義務があると思ってしまうのだろうか?」
他人が自分のことを好いていないという問題を解決する方法は、他人に好いてもらうために自分を変えることではないのです。
真の解決法は、だれからも好かれることは不可能だし、またその必要もないということを理解することなのです。
・まちがったことをしても自分を責めない
あなたと、あなたのすることは別です。
たとえ「悪い」ことをしてしまっても、あなたは悪い人間なんかではない。
単に、賢明ではない決定をたまに下すことのある人間だというだけです。
私たちは自分がとろうとする行動の結果を考えもせずに衝動的に行動することがあります。
あるいは、理由も知らない、または理解できないまま行動することもあります。
そして、愚かな行動を愚かだとは思わず、そのときは最善のことをしているつもりで行動し、結局、後になってそうではなかったと気づくこともあります。
あなたのとった行動はあなたの人間としての価値とは関係がないのです。
まちがいを避けたからといって、いい人間であるわけではないのと同様、まちがいを犯しても悪い人間というわけではないです。
たとえ愚かなまちがいをしても、自分は十分に価値のある人間だ。
・自分の決断に自信を持つ
たとえ大きな失敗をしても、絶望してはいけないです。
自分が今までにしてきた数々の正しい選択を思い出そう。
そして、過去の数々の成功を祝い、そのもとになった賢明な決断に誇りを持とう。
私たちは日常生活で無数の決断を下す必要に迫られています。
決断にはまちがいを犯す可能性がいつもつきまとうのだから、その多くの選択のすべてが完璧であると期待するほうが無理なのです。
あなたが下してきた決断は、まちがっていたことよりも正しかったことのほうがずっと多いはずです。
あなたが今までに下してきた、人生を豊かにする賢明な数多くの決断に比べれば、まちがった決断の数は、ほんのわずかでしかないのです。
自分が下す決断は、まちがっていることより正しいことのほうがずっと多い。
・まず、自分をほめる
他人に高く評価されることが重要だと考えているなら、その願いはそう簡単にはかなえられないです。
自分に対する他人の評価を重視しすぎると、他人に感情的に支配されることになるのです。
他人に高く評価されることで気分がよくなることを願っていると、他人から無視されたときに落ち込んでしまう。
また、他人にほめられることを期待していると、他人に責められたときにショックを受けてしまう。
他人からの評価が収入や成績を大きく左右するというのならともかく、単に自分が気分よくなりたいというだけなら、他人から高く評価される必要はないのです。
自分を高く評価するのは自分だけで十分です。
このことが理解できれば、他人に評価されようとして気をつかう必要はもうなくなります。
・自分の健康には自分で責任を持つ
あなたは自分の健康管理のために何をしていますか??
具体的な健康法を全部集めると、おそらく何百とあるでしょう。
健康や栄養に関する一般向けの本はいくらでもあり、病気の予防と改善のための情報は巷に氾濫しています。
最高の健康状態を維持するための講座やビデオなども数多くあります。
といっても、基本となるのは禁煙、規則正しい食生活、十分な休養、適度な運動でしょう。
自分の健康は自分で責任を持って管理しなければならないが、それには理由が四つあります。
(1)私たちが自分の健康に及ぼした被害を修復するために、医者は時間のほとんどを使わなくてはならず、予防方法についていちいち細かく説明する時間がない。
(2)自分が節制して得をするのは、ほかならぬ自分である。
(3)自分の体のことをいちばんよく知っていて、どのような生活習慣が自分の健康にどのような影響を与えるかを把握しているのも自分である。
(4)健康管理を積極的におこなうことで、自分の人生を管理することができ、それがまた自尊心を高めることにもつながる。
・批判は余裕を持って受け入れる
あなたは人から批判されたときにどのような対応をしますか??
実際、そのときのあなたの対応ぶりほど、あなたの自尊心の状態を明らかにするものは少ないです。
自分のことがあまり好きでない人は、他人から批判されると自分の人格が批判されたと感じ、人間としての価値まで否定されたように思ってしまうものです。
他人から批判されたときは次のことを思い出しましょう。
(1)その批判から何かが学べることがあるかもしれない。もし自分がまちがったことをしているなら、それに気づいておくことが自分にとっていちばんの利益になる。
(2)自分の行為に対する批判は、人格批判ではない。
(3)たとえそれが人格批判であっても、相手に協力して自分を批判する必要はない。
広い心で余裕を持って批判を受け入れたほうが自分の得になる。
・自分で考え、自分で決める
私たちのまわりには、無料アドバイスをしてくれたり、私たちに代わって決断を下してくれたりする人がいやというほどいます。
こういう人たちの特徴は成功とは縁がないということ。
にもかかわらず、この人たちは他人の人生について助言をする資格があると思っているらしい。
しかし、たとえこれらのおせっかいな人たちが幸せな成功者であったとしても、彼らに決断を代行してもらうことは得策ではありません。
その理由は三つあります。
第一に、あなたの人生をいちばんよく知っているのはあなた自身だということです。
あなたが抱えている問題に対処するには、他人の解決策よりもあなたの解決策のほうが適切であることが多いです。
第二に、もし他人があなたに代わって決断すると、物事が他人の思うように展開し、あなたの望んでいることが得られなくなる恐れがあります。
最後に、といってもこれがいちばん重大な理由なのですが、あなたの人生を他人の決断にゆだねてはいけないのは、他人に決断を代行してもらっていると、自分で決断する習慣が身につかなくなるからです。
もちろん、他人のアドバイスに耳を傾けることは大切です。
しかし、だれのアドバイスを聞き入れるにせよ、あなたのとった行動の結果は最終的にあなた自身の人生に返ってくることを忘れてはいけないです。
あなたの決断が完璧であるとは限らないが、いつも他人の判断ばかりに頼らずに、自分でまちがいを犯しながら何かを学びとるほうがいいです。
・ほめ言葉は素直に受け入れる
人からほめられると何となく居心地が悪くなるのは謙虚だからではありません。
それは自意識によるものです。
つまり、人からほめられても、自分にはそれだけの価値がないと心の中で信じているために、とまどってしまうことが原因なのです。
子どものころ、私たちは自分の長所を自分で口に出して言うことはよくないと学びます。
自分で自分をほめる人間は自惚れ屋とか虚栄心が強いと思われるからです。
その結果、他人がせっかく好意的な評価をしてくれても、照れて敬遠するようになります。
自分がいいことをしたら、それを自分で認めることは何も悪いことではありません。
といっても、ほめられたときに、「はい、そのとおり。私は素晴らしい人間です」などと言う必要はありません。
ほめ言葉を素直に受け入れればいいのです。
「大したことではありません」とか「もっとうまくできたんですが」と言って自分の能力や技能をわざわざおとしめる必要はありません。
ほめてくれた人に向かって「いいえ、そんなことはありません」と言うのは、「あなたの判断はまちがっています」と言っているのと本質的に同じなのです。
自分のしたことに対して人から寛大な気持ちで称賛の言葉をかけられたら、あなたも寛大な気持ちでそれを受け入れ、心からお礼の言葉を述べよう。
人がほめてくれたとき、それを受け入れるのはいいことだ。
・他人を変えようとしない
「もし周囲の人たちが私の思うようにふるまい、私の希望どおりになってくれさえすれば、人生はさぞ快適になるのだが」私たちはどうもそう思い込んでいます。
しかし、私たちがどれだけ頼んでも、文句を言っても、おどしても、ほとんどの人にとってそんな願いを聞き入れるのは耐えられないことなのです。
たとえもし聞き入れてくれたとしても、それに見合うだけのものを提供しなければ、まもなく元の状態に戻ってしまいます。
自分が他人を問題視することをやめないかぎり、人間関係の問題はなくならないのです。
このことに気づけば、人間関係に関する不変の真理が把握できます。
それは、たいていの場合、他人を自分の思いどおりに変えようとして時間を浪費するよりも、自分の態度を変えたほうが、てっとり早くて現実的、しかも長続きするということです。
よほど深刻な問題でないかぎり、自分の身の回りで発生する問題は、自分の態度を変えるだけで解決する。
・自分の考えを大切にする
相手が期待していることではなく、自分が本当に思っていることを言いましょう。
自分の意見は他人の意見と同じくらい重要だということです。
相手が同意してくれるかどうかは重要ではありません。
自分の考えが世間の常識と違っていることもあるでしょう。
しかしだからといって、自分の考えの重要性が減ることはないし、自分の意見を述べる権利を失うわけでもない。
今度、相手に気に入ってもらうという目的だけで「私もそう思います」と言いそうになっても、そう言う必要はありません。
それは不誠実な言葉であるだけではありません。
自分の信念と理想を曲げて妥協する態度は、本当に価値のある友人をつくることにはつながらないのです。
相手の意見に賛成できないならば、「私はそうは思いません」とはっきり言おう。
・よけいな競争はしない
競争は人格を磨き、自信を育てると一般に考えられています。
しかし実際には、そのどちらにも悲惨なくらい効果がありません。
競争が大多数の人に与える影響は、劣等感を抱かせ、自信を失わせることでしかないのです。
考えてみれば、競争というのは、負けてしまう人のほうが勝つ人よりもずっと多いように設定されているのだから、こういう結果になるのは当然です。
競争の本当の危険性は、たいへん多くの人が自分の人間としての価値を勝敗で判断してしまうことにあります。
負けることは、私たちが生きていくうえでよく経験することだが、負けて気分がよくなる人などひとりもいないでしょう。
だれだって、負ければ気分が悪くなる。
その結果、自分に二流、三流、四流の人間というレッテルを貼り、やがて負け犬根性が染みついてしまうことになります。
勝てば人生がずっと素晴らしいものになるという見返りが得られるのでないかぎり、競争は無視するのがいちばん得策です。
競争することそれ自体が楽しいなら別だが、それ以外の理由で競争するなら、それはあなたにとってほとんど何の役にも立たないのです。
・自分の存在そのものに価値があると信じる
自分の人間としての価値を自分の業績、知性、財産と関係があると信じるのはまちがいです。
あなたが持っている能力や所有物はあなたの収入を左右するかもしれない。
しかし、あなたの人間としての重要性や価値とは何の関係もないのです。
あなたは人間としての価値を最大限に高めるために何か特別なことをする必要はありません。
この世に生まれてきたときから、あなたは価値のある存在なのです。
別に特別なことをしなくても、あなたの人間としての生来の価値は不変なのです。
能力や所有物は自分の価値とは関係ない。存在そのものに価値があるのだ。
・他人に対する悪い感情はさらりと忘れる
私たちは意見が衝突したり不当な扱いを受けたと感じたりすると、その原因をつくったと思われる人に悪い感情を抱く傾向があり、しかも、それは当然のことだと考えます。
けれども、悪い感情は、他のだれよりも自分にいちばん多くの害を与えます。
自分に不利益をこうむらせた相手を許さないという態度から生まれるすさまじいマイナスのエネルギーは、心と体に悪い影響を及ぼすのです。
さらに悪いことに、過去の不幸な出来事に固執することで、さらに多くの不快な経験を引き寄せてしまいます。
衝突したことのある相手に対しては、やむをえない場合は別として、無理に友好的な態度をとる必要はありません。
しかし、忘れず許さずという態度を貫いていると、あなたは強さと柔軟性を失い、無力感にさいなまれ、自分で人生を積極的に切り開くどころか、被害者意識に取り憑かれることになってしまいます。
他人に悪い感情を抱くことは、他人以上に自分を害する。
・問題の原因は自分にあることを認める
問題に直面したときには必ずこう自問してみましょう。
「過去のどの時点で別の選択をしていれば、この問題を回避できたか?」これは言い換えると、「この問題を回避するには、どうすればよかったか?」ということなのです。
この練習は罪悪感を持つためにするのではありません。
これから起こりうる多くの問題を防ぐ力が自分にあるということに気づくためにするのです。
問題をさかのぼって追跡することによって、もし別の行動をとっていたら多くの不快な状況を避けるチャンスがいくらでもあったことを発見するでしょう。
苦しみの原因は自分の外から来ると考える習慣のある人にとって、こういう考え方は受け入れにくいかもしれない。
しかし、自分に原因があることを進んで認められるようになれば、問題に頭を悩ませることは減るでしょう。
自分の問題を解決するのにいちばん適している人物は自分自身だ。
・自分の思いどおりに生きる
他人にとって何がいちばんいいかを、当の本人よりよく知っていると信じ込んでいる人がいます。
こういう人は自分のほうが頭がよく道徳的で、自分の価値観が他人の価値観よりも優れていると確信しています。
こういう人は自分の考え方に他人がどれだけ迷惑していようと気にかけません。
また、他人の人権を踏みにじっていても気がつかないのです。
こういう人が唯一関心を持っていることは、自分の考え方を他人に押しつけることでしかないのです。
こういう人はものすごい利己主義のために、たいへん重要な事実を見落としています。
それは、すべての人は、「自分の思いどおりに生きる」という他人の権利を犯さないかぎり、自分の思いどおりに生きる権利がある、ということです。
他人の権利を犯しさえしなければ、何をしようとそれは個人の自由なのです。
他人に生き方を教える権利があると信じている人がひどい思い違いをしていることはもう明らかでしょう。
もしあなたがこういう人の言うとおりになっているとしたら、あなたはさらにひどい思い違いをしていることになります。
思いどおりに生きるという他人の権利を犯さないかぎり、自分にも同じ権利がある。
・自分に頼る
他人に頼る以外に道がないことも、ときにはあるかもしれないが、いちばん頼りになる存在は何といっても自分です。
自分でできることを他人にしてもらっていると、いつまでたっても他人に依存したままになるだけでなく、自分が望んでいるよりも低いレベルで妥協しなければならなくなります。
興味深いことに、自分に頼る度合いを大きくすれば、よりよい人間関係が築けます。
その理由は、自分のために他人が何をしてくれるだろうと期待するのではなく、他人をあるがままに自由に受け入れられるようになるからです。
・自分の考えをすべて受け入れる
私たちは自分の考えのいくつかを悪いとかずるいと感じ、恥ずかしくなって萎縮してしまうことがあります。
あるいは、そんなことを考えている自分を意地が悪い、不親切、ひねくれているなどと考えて罪悪感を持ってしまいます。
まるで二重人格者のように「自分はなんてひどいことを考えているのだ」と自分に問いかけ、一線を越えそうになる悪い自分を、いい自分が必死に抑えているのです。
しかし、自分が抱いている考えのことで自分を責めてはいけないです。
あなたが考えていることは、すべて正当なのです。
なぜなら、周囲の環境や人生経験などのさまざまな要素が組みあわさって、自分なりの考えが心の中にたくさん浮かんでくるからです。
だからといって、それらの考えをすべて行動に移していいということにはならないのです。
もしそんなことをしたら、たいへんな問題を引き起こしかねないのです。
ここで私が言っているのは、心の中でどんな考えを抱き、それがどんなにひどい内容だと感じても、自分を責める必要はないということです。
実際のところ、だれしも心の中に何らかの醜い考えを抱いているものです。
不幸なことに、多くの人は自分の心の中で生まれた考えを捨て去ろうと努力します。
しかし、自分の一部を否定することは賢明なことではありません。
あるものをないと思い込もうとしても、それは消え去らないからです。
いちばん賢明な対応策は、自分の考えは自分の考えであることを認め、静かにそれを受け入れ、自分を洗い清めることです。
自分が心に抱いているすべての考えは、自分の重要な一部分として受け入れる。
・他人を批判しない
他人のことを批判的に考えたり話したりすることは少し楽しいし、一時的に優越感に浸れます。
しかし、これは危険な娯楽です。
というのは、不平・不満と同様、他人のあら探しはすぐに習慣になってしまい、その不快さゆえに友人を遠ざけ、敵をつくる原因になるからです。
他人のあら探しをすることのいちばん危険な点は、それがどんどんエスカレートしていくことです。
そして、絶えず犠牲者を探し回り、標的となる人がいなくなると、自分をも犠牲者にすることになります。
その結果、初めは他人に対して厳しいことを言っていたのが、やがて自分にも厳しい判断を下すようになり、ついに自分が自分の最大の敵になってしまうのです。
他人のことを好意的に考え、好意的な発言をすることでいちばん得をするのは自分だ。
・自分の人生に起こることすべてに責任をとる
物事が自分の思いどおりにいかないとき、それを運命や神様、あるいは他人の責任にしてはいけないです。
自分の身にふりかかる出来事のほとんどは、自分のとった行動、または行動しなかったことに原因があるのだから。
このことに気づけば、あなたの人生と人間関係は大きく好転するはず。
これは、自分がかなりの責任を負う必要があるから、たいへんなことのように思えるかもしれない。
しかし、いったんこの事実を受け入れれば、今まで想像していた以上に、自分の人生を自由に自分で創造できることに気づくはず。
自分の人生に責任を持てば、自分の人生をより自由に創造できる。
・他人の反応を気にしない
ほとんどの人は子どものころ、自分には他人の気持ちを傷つける力があると教えられました。
自分の言動に対して他人が気を悪くすることがあるのは事実です。
しかし、それはその人の習慣であったり癖だったりするだけかもしれないのです。
もし自分の言動に他人が気を悪くする力があるなら、周囲の人全員が気を悪くしなければならないはずだが、そんなことにはならない。
意図的に他人を怒らせたり不愉快な思いをさせたりするのでないかぎり、その人の反応に責任を負う義務はないのです。
自分の感情に責任を負うだけでも十分たいへんなことなのだから、他人の感情に対してまで不要な重荷を背負う必要はないです。
・自分の望む人生を歩む
私たちは知らず知らずのうちに他人の期待の犠牲になり、自分にとって気が進まないことをするために多くの時間を費やしています。
私たちはあまりに忙しいと感性が鈍り、自分が置かれている状況に疑問すら抱かずに日常に流されがちです。
これからの一カ月間、毎週三十分くらい割いて自分の人生をじっくり見つめ直し、次の点について自分に問いかけてみよう。
自分は今の仕事を本当に楽しんでいるか?
他人からいちばん向いていると言われた仕事をしているだけではないか?
心から楽しいと思えることをして余暇を有意義に過ごしているか?
退屈でうんざりするようなことをしてはいないか?
今の生き方は自分が選んだのか?
他人に選んでもらったのか?
金銭的な事情をはじめとして、いろいろなしがらみがあるために、自分が選んだ生き方を完全に一生貫き通せる人はほとんどいないです。
しかし、あなたがもし自分は他人が決めた生き方をしていると感じるのなら、そろそろ自分の夢を追い求める時期に来ているのではないしょうか??
他人から期待されている人生ではなく、自分が望む人生を歩むことが大切だ。
より良い考え方を選ぶ
・自分が重要な存在だと思う
あなたはこの世の中で、自分が重要でない仕事をし、重要でない生活を送っている、重要でない人間だと感じたことはないでしょうか?
政府が国民を名前ではなく番号で登録するような時代です。
そう考えてしまうのも無理はありません。
しかし、あなたのこの世の中への貢献はたいへん重要です。
あなたは社会から切り離されて生きているのではありません。
ごく一部の人だけが重要な存在だ、とあなたは思っているかもしれません。
しかし、それは違う。
あなただって重要な存在なのです!
あなたのすべての行動の影響はどんどん広がって、やがて地球上のすべての人と物に影響を与えるかもしれない。
あなたはそれくらい重要な存在なのです。
重要でない仕事や生活はないし、重要でない人はこの世に一人もいないのです。
私はこの世の中で重要な仕事をし、重要な生活を送っている、重要な存在だ。
・感謝の言葉やほめ言葉はすぐに口にする
残念なことに、私たちは「いつかいいタイミングが訪れるだろう」と考えて、感謝の気持ちを伝えるのを先延ばしにする傾向があります。
しかし、それはよくないです。
感謝の気持ちをすぐに伝える習慣を今日から身につけましょう。
自分がどれだけ感謝しているかを、大切な人に伝えましょう。
誰かが支えてくれたり親切にしてくれたりしたら、その人に感謝の気持ちを伝えましょう。
その気持ちを心の中に秘めていてはいけないです。
あなたが感謝の気持ちを伝えれば、相手だけでなくあなた自身もいい気分になるはず。
感謝の気持ちだけではない。誰かがいい仕事をしたときは、それを本人に知らせよう。
何かが得意な人はそれを自覚しているはずだから今さらほめたところで意味がない、とあなたは思っているかもしれない。
しかし、能力、技術、熟達度に関係なく、どんな人でも「いい仕事をしましたね」と言われるのが好きなのです。
人々は自分の価値を認められれば、すでに名人の域に達している人でも、「よし、もっとがんばろう」という気持ちになるものです。
人をほめることについて大切なことを書いておきます。
*ほめ言葉は、いつでもどこでも口にすることができる無限の資源である。
*相手に感謝の気持ちを表現することで、自分が寛大な気持ちになれる。
*自分が評価されていることを知っていても、それを誰かから言われることで向上心をさらにかき立てられる。
ほめ言葉は誠実なものでなければならないです。
感謝の言葉や誠実なほめ言葉は、相手だけでなく自分も前向きな気分にする。
・非現実的な期待を持たない
あなたがこれまでの人生で何度も失望した経験があるとしたら、非現実的な期待を抱いていたせいかもしれないです。
いったん非現実的な期待を抱くと、それが現実になるのをひたすら待つようになります。
しかし、夢が自動的に実現するのを待っている問に、本当の人生を取り逃がしてしまい、長い年月が過ぎ去っていることがよくあります。
非現実的な期待を持てば持つほど、不幸になりやすいです。
さらにひどいことに、被害者意識を持ちやすいです。
二種類の期待を区別するために、次の等式を心に刻んでおこう。
*非現実的な期待アイデア+希望的観測=失望
*現実的な期待アイデア+適切な行動=望んでいた結果
いいことが起こるのを期待してはいけないのでしょうか?
もちろんそんなことはありません。
しかし、たんに期待するだけではなく、適切な行動が必要なのです。
人生を改善したいなら、常に行動を起こし、努力してそれを最後までやり遂げなければならないのです。
適切な行動を起こして最後までやり遂げれば、望んでいた結果を手に入れることができる。
・いい人をやめる
ある日、クモがハエに向かって「私の部屋に遊びにおいで」と誘った。
クモはとても友好的に見えたが、その目的は、いっしょに楽しい時間を過ごすことではなく、ハエを食べることだったのです。
あなたに頼みごとをしてくる人たちは、もしかするとこのクモに似ているかもしれないです。
彼らはあなたの弱みにつけこんで頼みごとを引き受けさせようとします。
あなたの虚栄心やプライドをくすぐるのも常套手段です。
彼らは説得力に富んでいるから、あなたにしてみれば、どの頼みごとを聞き入れ、どの頼みごとを断るべきかわからなくなってしまいます。
相手を助けるべきかどうかを決める最も合理的な基準は何でしょうか?
*自分で問題をつくり出した人には、自分で解決させる。
*あなたを助けてくれたことのある人には、きっちりお返しをする。
・断るべきときは断る
頼みごとをしてくる人を助けてはいけないのは、次のような場合です。
*お返しをすることができるのに、相手にその気がない場合
今まで相手の頼みごとを聞き入れてきたなら、急に断るのはむずかしいかもしれない。
「ノー」と言う機会が増えれば増えるほど、楽に断れるようになるからです。
あなたが頼みごとを断ると、今まであなたを利用してきた人たちは、驚いたり腹を立てたりするかもしれない。
しかし、彼らが何と言おうと、自分を利用しようとする人には、きっぱり「ノー」と言えばいい。
・情報を鵜呑みにしない
権威者が真理を把握しているとはかぎらないし、権威者の間でも意見はよく食い違います。
権威者の主張には「もしかしたら本当かもしれない」くらいに考えればいいのです。
・「それを新聞で読んだ、テレビで見た、ラジオで聞いた」
マスコミの情報の大きな問題は、間違っていることがよくあるということなのです。
マスコミは事実に基づいて報道しようとはするが、報道内容が正確であるとはかぎらないのです。
マスコミの情報については「疑わしい」と考えるといいでしょう。
いくら尊敬に値する人でも、真理を把握しているかどうかは別問題です。
人間である以上、自分の信念に反する考え方を受け入れられなくなっていることがあります。
そういう人の意見については「根拠はあるだろうか?」と考えてみよう。
あなたにとって最善の方法は、広い視野でものを見ることなのです。
疑わしい情報に基づいて行動するのは避けたほうが賢明なのです。
真理かどうかがはっきりするまでは、情報を軽はずみに信じてはいけない。
・「いい」「悪い」という判断をしない
私たちはとかく、出来事や状況、他の人たちを「いい」か「悪い」かのどちらかに振り分けようとする傾向があります。
自分の解釈を適用するから、「いい」とか「悪い」とか思えてくるだけなのです。
「一○○パーセントいい出来事」や「一○○パーセント悪い出来事」は存在するでしょうか?
ある人にとって悪いことは、別の人にとってはいいことはたくさんあります。
*誰の利益にもならないほど悪い出来事や状況は存在しない。
*すべての人の利益になるほどいい出来事や状況は存在しない。
*どの視点から見るかで、どんな出来事にもいい面と悪い面がある。
出来事は視点によって価値が変わるから、どうせなら「悪い」でなく「いい」と考える。
・前向きに考える
私たちは人生と自分についての信念のほとんどを、幼少期の条件づけによって身につけます。
条件づけとは、ある考え方をひんぱんに繰り返して自分の思考回路に組み込むことです。
いわば、私たちはその考え方を「心の銀行口座」に預け入れ、そこから引き出しているようなものなのです。
条件づけの結果、私たちは物事をあるがままに見ることができなくなり、教えられたとおりに解釈するようになります。
条件づけは人によって大きく違うから、同じ物事に対してポジティブに解釈する人もいれば、ネガティブに解釈する人もいるし、どちらでもない人もいます。
過去の条件づけに関係なく、物事はできるだけポジティブに解釈するほうが得です。
*ポジティブな人とつき合い、ネガティブな人を避ける。
*自尊心を高めて、自分がもっと幸せになっていいと認識する。
*改善しようとする場合は除き、人生のネガティブな側面について考えない。
自分が選ぶ思考の種類に応じて、人生を快適にするか、不快にするか、です。
自分の人生のネガティブな側面ばかりに目を向けてはいけないです。
物事がどれほど悪いように見えても、ポジティブな側面を必ず見つけることができます。
どんな困難な状況でも、ポジティブな側面がきっと見つかる。
・自分の長所に目を向ける
あなたは自分の長所より短所について考えがちではないでしょうか?
ノートと鉛筆を用意して、「自分のポジティブな資質と行動」というリストをつくるのです。
左側のページに今日した「いいこと」を十個書いて、右側のページにそれに対する評価を書く。
たとえば、友人や同僚に親切にしたら、自分を「親切」と評価します。
あるいは、賢明な決定をしたら「賢明」、あいさつをきちんとしたら「礼儀正しい」と書きます。
このリストを枕元に置いて、毎晩、それに新しいことを記入します。
翌朝、目が覚めたら、前日に書いたことを読み返してみよう。
自分のポジティブな資質と行動を評価することによって、あなたは自分を見直すことができます。
自分についてあまりよく感じていなくても、その感情が妥当ではないことに気づくはずです。
・現在に意識を向ける
ほとんどの人にとって、心とは、過去と未来の間を絶えず往復する振り子のようなものです。
自分の思考内容を調べれば、過去と未来については多くの時間を割いて考えるのに、現在についてはほんのわずかな時間しか割いていないことに気づくはずです。
残念ながら、私たちはひんぱんに「タイムトラベル」をするあまり、現在の幸せを忘れてしまっています。
未来のことを想像するのと過去のことを回想するのに忙殺されて、現在でしか手に入らない本当の幸せを見失っているのです。
簡単なようだが、実行するのはかなりむずかしいです。
現在を意識することを心がければ、それぞれの瞬間は独自の美しさを持っていることに気づくはずです。
見るもの、聞くもの、感じるもの、触れるもの、すべてそうです。
もちろん、将来の計画を立てるのはまったく問題ない。
問題なのは、現在の幸せをつかみそこなってまで過去や未来の楽しみにふけることなのです。
過去や未来の楽しみにふけるより、現在の幸せを感じるほうを選ぶ。
・人との出会いを楽しむ
内気な人は、愉快な人たちと出会う楽しみを逃してしまいがちです。
彼らは人と会うことに不安を感じるので、見知らぬ人といっしょにいるとリラックスできず、居心地が悪くなります。
●相手に認めてもらえないことを恐れている。認めてもらえるかどうかを気にしすぎるために、自分の話題になると恥をかくのではないかと思っている。
●自分に自信がない。話をすると自分の欠点が露呈することを恐れている。愚か者だと思われるのが怖いために会話をしようとしない。
●自意識過剰になっている。内気な人は自分のことを気にしすぎる傾向がある。相手のことを考えるときでも、自分がどう思われているかが気になる。
内気な性格を克服するには次の三つの対策が役に立ちます。
*自尊心を高める。自分に自信を持てば、相手が認めてくれないことを恐れる気持ちは消える。
*相手の緊張をほぐす。あなたより相手のほうが恐れている可能性もある。落ち着いているように見える人は、演技がうまいだけかもしれない。
*自分のことを気にしすぎない。相手にどう思われるかよりも、自分が相手のことをどう思うかを自問しよう。
自分のことばかり考えなければ、愉快な人と楽しいひとときを過ごすことができる。
・自分の個性を受け入れる
あなたは自分が世の中から「浮いている」と感じたことはないでしょうか?
しかし、そう感じても別にあわてる必要はありません。
なぜなら、あなたは他の誰とも異なっていて当然だからです。
あなたは、遺伝・経験・条件づけの独特な組み合わせによってできています。
あなたと多くの点で似ている人はいるかもしれないが、あなたとまったく同じ人はいません。
ただし、あなたが個性的な存在だからといって、他の人より優れているとか劣っているということではありません。
・ものおじせずに質問する
あなたは、多くの人の中で自分だけが物事を理解していないと感じたことはないでしょうか?
学校の授業や会社の研修などで、多くの人は無知だと思われるのを恐れて質問しようとしません。
しかし、わからないときに謙虚な姿勢で質問をすると、どういうことが起こるでしょうか?
学生なら学校の成績が伸びるし、社会人なら仕事の技能が向上します。
さらに、ほとんどの人と幸せな人間関係を築くことも可能になります。
そう考えれば、質問しないほうがむしろ愚かだと思えてくるはずです。
・いい人間関係を楽しむ
いい人間関係は、次の条件のほとんどを満たしています。
●自由にその人間関係から離れることができる。いっぽう、避けるべき人間関係の特徴は次のとおりだ。
●相手を喜ばせるために自分の行動規範を変えなければならない。
●報復が怖くて人間関係から抜け出せない。いい人間関係は、お互いに建設的な批判をして絶えず調整する必要がある。
お互いが恩恵を受けることのできる人間関係をつくる。
・友人を慎重に選ぶ
●あなたを励まし、必要なときに精神的に支えてくれる人
●あなたを尊敬してくれる人いっぽう、友人として好ましくないのは次のような人だ。
●あなたにうそをつく人、自分のためにうそをついてほしいと頼む人
●あなたをトラブルに巻き込む人友人関係が最も長続きするのは、似た環境に育ち、共通の価値観や信念を持ち、同じ活動を楽しむ場合だ。
共通点が大きければ大きいほど、友情のきずなは固くなります。
成功を分かち合う親友がいれば、成功をさらに楽しむことができます。
いい友人をつくれば、成功を分かち合ってさらに楽しむことができる。
人生がうまくいっていないように思える時期は誰にでもあります。
しかし、あまりにもひんぱんにそういう経験をするなら、心の持ち方を調べる必要があります。
心について知っておくべき重要な事実を紹介しましょう。
●あなたの心は、特定の方法で考えるようプログラムされている。心はコンピュータのようなものです。
たとえ気づいていなくても、あなたに最も強い影響を与えた人たちは、あなたの幼少期にプログラムをインプットしたのです。
その結果、あなたは教え込まれた考え方を吸収したのです。
●あなたの心は、従来どおりに考える傾向があります。同じように考え続けると、脳の中に一定の思考回路ができ、今後もそれに沿って考えるようになります。
その結果、ネガティブな人はずっとネガティブなままで、さらに不平を抱くことになります。
いっぽう、ポジティブな人は、状況が悪化しても人生のいい面を見ます。
●あなたの心は、プログラムし直すことができます。たとえ不正確なことでも、何度も繰り返し教えられた考え方を信じるようになるが、心をポジティブにプログラムし直せば、人生の多くの面を改善できます。
心をプログラムし直せば、人生の多くの面を改善できる。
*ポジティブな考え方を提唱している本を読む習慣を身につける。
*自分についてネガティブに考えるのをやめてポジティブに考える。
*ネガティブな人をできるだけ避けて、ポジティブな人とつき合う。
以上のことを心がければ、あなたの思考は改善され、それに伴って人生も改善されるはずです。
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