ブルース・リーは、香港出身の武道家・映画俳優です。
彼は『ドラゴンへの道』『死亡遊戯』などの代表作で知られるが、自分の武術の集大成である「截拳道」を創始した武道家としての顔も持ちます。
32歳の若さで亡くなったこともあって、ハリウッドでは未だに伝説的な存在で、彼のトレードマークである黄色い服は、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』で主人公のビジュアルとしてそのまま使われています。
なぜ彼がここまでの文化的アイコンになったのかといえば、リーが東洋の武術を西洋に広めた最初の俳優だからです。
映画の出来そのものは、当時の水準から見ても、そこまで優れていなかったが、世界中の男たちは初めて見る東洋の武術に熱中しました。
演技のために武術を学ぶ映画俳優はたくさんいるが、彼の場合はその逆で、映画が武術を広めるための手段でした。
『燃えよドラゴン』を撮影するときは、リアルな演技を求めて喧嘩に自信がある不良たちを集め、彼らを実力で圧倒し、屈服させてから撮影をはじめたといいます。
彼の動きを撮影したフィルムを見ると、肉眼で捉えられないほどのスピードです。
リーのキックの練習相手になったことがある人物によれば、彼のキックの威力はパッド越しの一撃でも、まるで車に轢かれたような衝撃があったといいます。
彼がハリウッドに武術を伝えられたのは、武術についての深い理解があったからです。
出演作自体は地味だったものの、武術は本物でした。
そして、リーは武術の実践だけではなく、理論の研究も同時に進める習慣を持っていました。
「どうすれば実戦で相手を早く制圧することができるだろうか?」
「相手に殴られても、被害を最小にするためには、身体のどの部位を鍛錬する必要があるか?」
このような疑問への答えを得るために、たくさんの本を読んで勉強しました。
彼の家には2つの部屋がありました。
ひとつの部屋は運動のための部屋でした。
ここではウェイトトレーニングなどの体の鍛錬を積みました。
もうひとつの部屋は理論を勉強するための部屋でした。
ここでは、どうすればウェイトトレーニングを武術に応用することができるか、栄養の摂取はどうすればいいか、といった命題を説くため、日夜読書して勉強してました。
さらに、ワシントン大学哲学科出身者らしく、武術から哲学的な意味を探ろうとしました。
「知るだけでは不十分だ。実際に応用しなければならない。意志があるだけでは不十分だ。実行しなければならない」
「成功する戦士は、レーザーのような集中力を身につけた、ごく普通の人間である」
「恐れは不確実性から来る。その恐れは自分自身をよく知ることで無くすことができる」
「幸せであれ。しかし決して満足するな」
彼の言葉は、映画俳優が残したとは思えない、金言だらけです。
リーが、ただ体がよく動くアクション俳優ではなく、西洋に肉体と精神の鍛錬の方法として武術を伝えることができたのも、このように実践と理論を同時に追求したからでしょう。
何か一生を通じて突き詰めたいものがある人には、胸に刻んで欲しい習慣です。
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